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女将便り
2014 / 06 / 29 ( Sun )
お早うございます。6月29日朝、八甲田は(少し)雨です。
先日の低気圧? 東京の「ひょう」の被害、すごかった・・・
時ならぬ悪天候は都民の生活にどれほど影響を与えた事でしょう。ニュースの映像を見る限りでは、その光景はまさに「冬」でありました。

映像と云えば・・近頃カメラを持ち歩いている方をあまり見かけませんね!?。結婚式などでも、新郎新婦に向けられているのは、ほとんどスマホかガラ系モービルフォン。
出始めのころに比べ、スマホカメラ等の性能が格段に上がったので一眼レフや、コンパクトタイプデジカメをもたずにすませる方がどんどん増えているそうです。
確実に本格派を持ち歩いているのは、カメラが(仕事の常用の道具として)必須アイテムな方だけ。
とあるデーターですが、年間の撮影枚数はデジカメ(コンパクト)に比べ、スマホが約2倍の約4000億枚位だそうです。
スマホで撮りすぐに、友人等にメールで送り、その場の感動を共有する!!と云う意味において、これは大変すぐれ者です。

きっと多くのカメラマン(即席の)は画質より、絵(写真)のもつ、雰囲気をわかってほしいだけだから、便利なツールとしてスマホを選ぶのでしょう。
もちろん、写真愛好家達は、どんなに重くても、かさばっても、お気に入りの一台を(一台以上を)持ち運んでいます。
どちらが良くて、どちらが悪いというお話ではありませんが、地上から、カメラの姿が減り行くのは、どことなく淋しい気が致します。スマホのカメラ機能で胸部レントゲンがとれるわけではありませんので、カメラメーカーの踏ん張りを期待します。
話が少し固くなりましたが、八甲田は高山の花々が咲き始めております。今日は、水も滴るいい女をして、ひっそり輝いています。荒れてはいないので、当館の工藤利雄ガイドが、今日辺りは傘差して歩いてもいいかなぁ~と申しております。
晴天日よりすいていて歩きやすいかも?
可憐な“ひな桜”に逢いにいらっしゃいませんか?

                                                           女将便りでした。
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女将便り
2014 / 06 / 23 ( Mon )
山開き(6月15日)は、どしゃぶりに近い雨の中決行。
前日までの風雨で路添のつつじの花は吹き飛ぶ、荒春を感じる一日となりました。
しかし、山人達は強い。ビニールシートを敷き、雨合羽をまとい、BBQの準備に余念がありません。
そして、会話を聴くと「雨の中で竹の子が伸びるなぁ~」だそう・・・。わらびは、熟成、竹の子が今いちの八甲田にとっては、まさに恵の雨。里の紫陽花もウキウキしていることでしょう。TVの旅番組で放映しておりました蕨の食べ方が旨そうだったので、お知らせいたします。
好みの味噌に山椒の葉を叩き混ぜ合わせ、そこに湯がいた蕨を包丁でよ~く叩いたとろろ状のものを練り込む。それだけです。どうぞチャレンジしてみてください。
6月19日、急死された、むつ市長宮下純一郎氏の初月命日でした。この日、長男宗一郎氏のむつ市長選に向けての励ます会が行われたのです。
5月24日25日に行われた葬儀に喪主をつとめられた時は、外務省ニューヨーク総領事館領事という肩書でした。
わずか、一か月の間に職を辞し、居住地を移し、初選挙の準備をする事が、いかに大変か。
もちろん、物理的にも心理的にもです。
彼、宗一郎氏はこの25日間(5/25~6/29)に見事に脱皮をし、顔つきまで変わっていました。
本人はもとより、覚悟を決められた奥様にも拍手を送ります。
見て育つ、父の背中と母の顔と申します。息子の傍らにじっと立ち続けていた母君。
おそらく夫君の選挙よりも緊張されていたのではないでしょうか。
この決断が、むつ市、そして青森県の為に大きな財産となることを信じ、祈り、エールを送ります。
本日、告示日、後1時間で受付が始まります。
初夏の熱い陽ざしも応援しています

                                                     6月22日 筆 女将便り

第2弾
おめでとう、富岡製糸場!!

NHK朝の連ドラ「花子とアン」主人公ハナの妹カヨは身売りで製紙工場に行き、借金を返せぬまま逃げ出し、東京のカフェで女給となる。歴史教育の中でも「女工哀史」という言葉が使われ、野麦峠という作品もある。
今回の決定は、そのイメージを少し変えるかもしれない。
歴史は勝者の記録であるとも云われるが、敗者を描かなければ勝者像は浮かばない。
劣悪な労働管理の元悲哀が語り継がれるが、この時代、業種を問わず皆、辛く、苦しく、ひもじさと戦ったのではないだろうか。
明治5年、国内初の官営機械製糸場として設営され最後に操業権をもった片倉工業と後に寄贈を受けた富岡市のたゆまざる努力によって、保たれた「奇跡的」な保存状態。
ヨーロッパ等の石造りの建物の保存年限に対し、日本の建造物は・・・という声もあるが、昔ながらの神社仏閣は悠久の時を生きている。
富岡の140年に勇気をいただき日本の建造物は何か変化を始めるのだろうか。
地震国、台風国、日本。関係各位の日々の努力に私達は頭をたれよう。
富士山は遺産決定に向けてゴミが減り、入山料を設定する事によって新たな管理、見守りが始まった。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」には4月の遺産勧告以来、前年の3倍もの来場者と言う。
今後、群内の周遊や外国人対応など課題は多かろうが、群馬から日本の宝、そして世界の宝となった富岡製糸場を、閉鎖後18年間守り続けた、片倉の株主に敬意を表し、一層の発展、保守を望むものである。
追伸・・・レクリエーションで行くには、ちょっと遠いのが残念・・・・・。

一口メモ
ユネスコの世界遺産条約に基づき、文化、自然遺産を人類全体の財産として保護する為1972年から始まった制度が世界遺産。
顕著な普遍的価値があること、元々の状態を維持している事が条件。

                                                         女将便り第二弾でした。

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